A級ディンギー、琵琶湖を帆走る。
ロータリーピア88のビーチに参加全艇が集う。レース前の艤装風景。 艇の下架は現役ヨット部のサポートが付く。
雨の中スタートラインに向かう艇団 2日め、第1レースのスタート。この瞬間は観覧艇から大きな声援が飛び交う。
マーク回航の混戦、おそらく「スタボー」「しも!」「水!」など、大声が飛び交っているのだろうか。 クリンカー(鎧)張りのハルと色つかいが当時をしのばせている。
マーク回航中の艇団。 余談。JPN3111の赤いハル(甲南大学
琵琶湖・南湖ロータリーピア88をベースに国内から約40艇のA級ディンギーと数百の現役?セーラーが集合した。
そのセーラーたちの顔には学生時代の笑顔が蘇っている。40才台の若者もいれば、80才を遙かにオーバーした強者も混ざっている。
「40、50は洟垂れ小僧」とはよく云ったもので、この場にいる50才に満たない恰幅ある紳士だって、この場ではただの「パシリ」でしかない。

クルマを駐車場に止めた瞬間から、その紳士も学生時代の1年生にタイムスリップさせられる。
艤装から艇の揚げ降ろしに至るまで、すべてが1年生に戻っての作業。その上、陸勤と呼ばれレースには参加させてもらえない。
先輩諸氏を観覧艇に乗せドライバーに・・・
それでも、その紳士は笑顔で汗を拭いている。
それでも、きっと楽しさを満喫しているのだろう。

A級ディンギーとは1910年はじめにイギリスのジョージ・コクショットの設計により建造されたと聞くが、そのA級1932年に当時の「日本ヨット協会」の正式種目に採用された。
全長12フィート3、65m、幅4フィート8インチ1、42m、に1枚のセイルで1名か2名で操船する。
当時の大学ヨット部などではこのA級ディンギーが主流で国体やインカレの競技にも採用され、1972年に470の登場によってその姿は徐々に衰退していった。

マーク回航からフリー(風下)レグへ。
A級復活。

が、しかし1991年に、一旦衰退したA級が「全日本A級ディンギー選手権大会」として復活し、毎年各大学OBの主催で全国各地を持ち回り開催され続けている
それが今回琵琶湖で地元立命館大学の主催によって開催された。
参加大学のOBたちは、現役大学生と精神的には全く同じで、仕事を放り投げ何ヶ月も前からこのA級を整備し、トレーニングに励んでいた。
まさに「青春」そのものなのである。
さて、2日間で行われたレースの初日は、琵琶湖ではめずらしく6メートル程の順風。中には沈をしてしまう艇もあるほど。久しぶりのセーリングに、参加者の顔は紅潮していた。

続く2日めは、スタート前から雨にたたられたが、そんなものには全くめげない「大人たちの青春」は元気よくスタートエリアに向かっていった。

そして、大人たちの青春ドラマはスタートした。

スタート時刻。日本海にとどまった梅雨前線の影響か、日本海から比叡山脈に沿って吹き下ろす北西からの風が支配しているが、1〜2メートルの中でかなり強弱がある。
そんな気まぐれな風のことより、参加各校の観覧艇からヤジともとれる激励の声援が飛び交う。
ましてそれがP旗(スタート4分前)が掲揚されると、そのヤジのボリュームは上がり、セーラーたちは身を丸めながらのスタートとなった。

この日2レースを消化するためと、風の影響もあってかレースコースは比較的短めに設定されている。
琵琶湖南湖のこのエリアは特に伊勢湾から入り込む北東寄りの風と、山に面した湖独特の風、北西からの風がぶつかりあい、無風になることがしばしばあるのだが、この日は風は弱いながらも
安定し、琵琶湖特有の完全にベタになることはなかったが、雨はずっと降り続けていた。

同乗させてもらった、甲南大学の観覧艇上では速いことよりも、どちらかと云えば遅い方に暖かい声援が掛けられていた感じがした。
「大人たちの青春」「オレたちの青春」
まさに青春時代にタイムスリップしてしまった大人の祭典の2日間だった。
多分、レースが終わった翌日には来年に向けての準備がすでにはじまっているに違いない。


●運営/立命館大学体育会ヨット部
●取材協力/ロータリーピア88
      甲南大学体育会ヨット部